Asano Nobuharu
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心臓と死
中学校の英語の時間、臨時で来ていた英語のおばちゃん先生がいきなり死について語り出したのをいまだに覚えている。
その先生(おそらく小林という先生だったと思う)は、心臓が止まった事があるのだと話した。 その話をしているのだから、止まった心臓が動き出したのだが、その心臓が止まった時の痛みを事細かに話し出した。 その時、「向こう側で死んだおじいちゃんが手を振っていた」みたいな、いかにもな話であれば記憶にも残らなかっただろうが、小林先生は淡々と心臓が止まった時に事を話し続けた。 そして、「死んだら何も無い。ただ、心臓が止まる。」というような事を話したんだと思う。 そこらへんは、よく覚えていないのだが、いつもはガヤガヤとうるさいクラスがシーンとなって、小林先生の話を聞いていたのは覚えている。 そして、部屋は暗く、夕方の光が少しさしていただけだった。 その時、初めて僕は明確に死を感じた。 祖母の骨を拾ったときにも感じる事は無かった死を明確に感じた。 そして、死は心臓が止まり何も無くなるのだ、と僕の中にその言葉を植えつけていった。 その後、半年もしないうちに小林先生はいなくなった。 なんとなく、もうこの世にいない気がする。 そんな気がするだけだ。
by mongoru901
| 2010-06-01 00:51
| 日々
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