浅野暢晴に関するブログです。
by mongoru901
Asano Nobuharu
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思ってたんと違う
水木は在廊できなかったのですが、今日は久々に在廊できました。
ギャラリーには行くものの、ちどりでの食事がなかなが出来なかったのですが、今日やっと食べれました。
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カキフライ、かなりお勧めです。

今日は平日ということもあり、休日よりは訪れる人は少なかったのですが、その分、来てくれた方とは濃い時間が過ごせました。
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(実は今日も言われたのですが)展示をしていて、作者(僕)が現れると、初見の方にかなりの確率で言われることがあります。

「想像してたのと違う、、、」

どうも僕の作品だけを見て勝手に作者を想像するに、
「もっと、年上だと思った」
「もっと、がたいのいい人だと思った」
「もっと、説明とかしてくれなそうだと思った」
「もっと、荒っぽい人だと思った」
「もっと、寡黙な人だと思った」
「もっと、怖い人だと思った」
挙句の果てには
「もっと、縄文人みたいな人が現れると思った」
等と言われます。

荒っぽい豪快な髭面のガタイの良い親父が黙っているかと思ったら、腰の低い男がヘコヘコと現れて作品についてペラペラと話し出すので、皆が上記のような言葉を投げかけてくるのです。

先に僕のことを知っていて作品を見た方が「もっとファンシーでキャッチーな作品を作っているかと思った」と言われることは皆無なので、僕→作品の順番より、作品→僕の順番の方がギャップがデカイようです。
作品から受ける人間の印象って何なんでしょう?
作品を前に「思ってたんと違う!」と言われるたびに
「本当はこの作品を作っているのだが世にでることが許されず鉄仮面を付けられて地下に幽閉されている本当の作者の存在」
を夢想してしまいます。

明日からは3連休。
天気も良さそうですし、是非ちどりのカキフライを食べがてら花ちどりへお越しください。

明日は在廊できませんが、日曜の2時から閉廊まで、月曜は一日在廊予定ですので、作品とのギャップを味わいたい方は、是非日曜か月曜にお越しください!
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# by mongoru901 | 2014-11-21 22:48 | exhibition
作品の大きさの話 村上春樹で言えば
阿吽の呼吸、今日明日はぎゃらりーマドベはお休みです、お気をつけ下さい。

今回の展示をしていてもそうなんですが、作品の大きさについて聞かれたり、提案を受けたりします。
例えば、もっと小さな作品は作らないんですか?(これが一番多い、というかほとんどこれです)とか、もっと大きな作品は作らないんですか?(これはめったにない)とか。

正直自分は小さい作品を作るのは、あまり得意ではなくて、少し大きめの作品を作る方が楽だったりしますが、それを説明するのが案外難しくて。
恐らく、彫刻を作った経験のある人がほとんどいない、というのが理由だと思うのですが。

彫刻で話しても中々伝わりにくい、と思うので、小説にたとえてみようと思います。
といってもマトモに読んでいる小説が村上春樹くらいなので、春樹でたとえてみます。

彫刻で基準になるのが、頭身と言って、人の大きさを基準とした大きさだと思うのですが、小説だと単行本一冊、と考えていいんじゃないか、と。
春樹で言うところの「羊をめぐる冒険」とか「スプートニクの恋人」とか最近だと「色彩を持たない…」とか。

作るのは大変だけど、伝えたい内容がキチンと収められる位の大きさ。
無何有の祭りで言うところのこれ位。
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頭身より少し大きくなってくると、少し大変になってくる。
作る時間もかかるし、物理的にも精神的にも消耗する。
これ位だと「ダンスダンスダンス」とか「ノルウェイの森」位の分量かな,
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ここまで行くと、「ネジ巻き鳥…」とか「1Q84」とか位の消耗度。でも、言いたい事は十分に語り尽くせると思います。
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逆に頭身より小さくなっていくと、お話が短くなっていく。
阿吽の呼吸のDMにも使ったこれ位だと「風の歌を聴け」とか「1974年のピンボール」とか。
それ一つで短いながらに完結している。
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逆にこういう小さいのが寄せ集まって出来た作品は、「蛍、納屋を焼く」「TVピープル」みたいな短編集で、
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ここまで小さくなってくると、「村上朝日堂」のシリーズみたいな感じだと思うのです。
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僕も小さい作品は作るんですが、短編だけで出すって事が出来なくて、ある程度、短編集としてまとまってから、出版するみたいな形が好きなんだと思います。
短い文で短歌や俳句みたいにビシッと完結させる方が得意な人もいるんだと思うのですが、僕は、それだと少し書き足りない、というか、消化不良というか、逆に短くまとめるのにも独自のテクニックが必要なんだと思います。

僕が一番作りやすくて手に馴染むのは、「風の歌を聴け」位の大きさで、様々なアイデアを試したり、自分の込めたい内容が収まりやすい。
でも、少しそれを越えた物語を紡ぎたい、と思った時には、単行本一冊や、何冊もかけて描いてみたりするのですが、発表するにも、読んでもらうにも、努力が必要なので、なかなか大変なのですが、短いところに多くの内容を詰め込んでいくよりは楽だったりします、僕的には。

長めの物語の中から一エピソードを取り出して、味付けをして、短い短編に仕上げる、みたいなお洒落な真似が出来れば、もっと楽に小さな作品が書ける気がするのですが、そこのテクニックは研鑽を積んでる状態で、つい、やりやすい長さの作品を書いてしまうんですよね。

でも、長い作品を読むのはちょっと、、、という方の為に、そういうテクニックを身につけていくのも大事なのかな、と思い始めたわけです。(それキッカケで僕の長々とした文章を読んでくれるかもしれないわけで)

というわけで、自分の作品と村上春樹の作品を重ねるという非常におこがましい行為をしつつ、小説の話をしてるんだか、彫刻の話をしてるんだか、訳が分からない文章になってしまったのですが、彫刻における大きさ、の感覚を少し掴んで頂けたかな?と思います。

というか、そういう隠れ蓑をもって、小さい作品が作れない壮大な言い訳ですね、これは。
さて、頑張ろう、頑張ります。
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# by mongoru901 | 2014-11-17 09:29
さよなら神様
「阿吽の呼吸」展、最初の週末が終わりました。
今日は昼からぎゃらりーに滞在できましたが、トイレに行く暇ももらえない程にひっきりなしにお客さんが来てくれて本当に充実した1日となりました。

1日の最後にお餅と同じくらいの男の子がお父さんとお兄ちゃんと一緒に来てくれました。
たまたま、花ちどりさんに来たみたいで、男の子は恐る恐る、って感じで近づいて来ました。

金糸の張られた作品の前に来て、
「なんで糸が張ってるの?」と聞いてきたので、
「この先に神様がいるので、この先ははいっちゃだめってことなんだよ」って答えました。
すると、金糸の先を覗いて、釣り下がる作品を指差し
「本当だ!神様だ!」と叫びました。

その後も他の作品についてもドンドン質問してくれて、
椅子に座るトリックスターを指差して「これはどうやって作ったの?」と質問したり。
作り方を説明すると、「そんなに大変なら作らなければよかったのに!」と言ってみたり。

なんだかんだで長居してくれて、最後は帰るときに作品を見ながら、
「さよならー神様、さよならー!」
と、作品にも手を振ってくれました。
これはかなり嬉しかった。

あの子には、金糸の先に神様を感じてくれたんじゃないかな、なんて思ったりしました。

2日間のお休みをはさんで、あと6日です。
皆さんにも、ぎゃらりーマドベで神様の存在を感じてもらえたら、嬉しいです。
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# by mongoru901 | 2014-11-16 21:19 | exhibition
ダブルフェイス
昨日の昼に水戸市立博物館より着信が。
水戸市立博物館といえば、約10年前にやったグループ展「彫刻化する空間」で展示をし、出品した「ダブルフェイス」をそのまま設置してある場所です。
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彫刻化する空間

前から作品の様子を見に行かねば、と思いつつも目の前の展示やら何やらに追われて足を運べずにいたので「いい加減何もしに来ないなら、持って帰ってくれ!」って、言われるんじゃ!「て、いうか、なんで顔が二つくっついてんの?」と根本的な質問をされるんじゃ!とビクつきながら電話をしたところ、
簡単に言うと、
「作品がぶっ壊れたんですが、どうしましょう?」
という電話でした。
なにやら来館した方が間違えて倒してしまい、バッコリと割れてしまったらしいのです。
作品が壊れる事に関しては、ちょっとした経験が幾つもあるので(長くなるのでここでは割愛します)こちらとしては「直しますよー!」って感じなんですが、逆に博物館の方は「(作品壊れたって電話してるのに、全然余裕だ、、、)」って雰囲気を受話器の向こう側から感じました。
まぁ、作品壊れる事に関してはちょっとしたもんですから、俺を切れさせたら大したもんですよ。

と、いう事で、急遽博物館へ向かったところ、綺麗にパッコリと二つに割れていて、「ダブルフェイス破片」って書かれた段ボール箱が隣に。
思いの外綺麗に割れてくれたので、これなら直せそう!ってニコニコしてると、「(この人、作品壊れてるのにニコニコしてる、、、マゾ、、、?)」って表情で僕を見ています。(妄想の類い)

作品を車に運び、今後の相談をしていると、博物館の方から提案が。
今までは、展示の流れでなんとなく置いておいた作品ですが、正式に「委託」という形で置いてもらってはどうか?というお話でした。
こっちとしては、ついでに持ち帰れ!と言われるんじゃ、とビクついてた位なので、是非!と即決させて頂きました。

ということで、ダブルフェイス、正式にパプリックコレクションとなりました。
考えてみれば、ダブルフェイスのマケットって、初めて作品を天井からぶら下げた作品で、穴の空いた姿といい、今の展示に繋がる作品なんですよね。
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それがこのタイミングで、痛みを伴いつつも、正式なコレクションになった事は、ちょっとばかり運命を感じてしまいます。

残念なキッカケではありますが、ダブルフェイスに新たな展開を与える事が出来ました。
正式な形になったので、表示とかもキチンとした形にしてもらえるみたいです。
今までは曖昧な状態で置いていたから、そうしたくても出来なかったみたいです。
災い転じて福となす、という典型ですね。
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作品も早く直せー!って叫んでる様なので、今年中にはどうにかして、元の場所に戻してやろうか、と。
さて、直しますか!
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# by mongoru901 | 2014-11-15 20:29
展示について語る事
「阿吽の呼吸」展を開催中のぎゃらりーマドベのくろさわさんから、展示を見る際の補助線になるような文章を書いて欲しいとの依頼があったので、展示について少し書きたいと思います。

前回書いた数字についての話から繋がる話だと思うので、(というか、それを読まないと訳の分からない話だと思うので)まだそちらを読んでいない方は是非そちらを読んで頂けたらと思います。

「数字の話 展示の話」

「阿吽の呼吸」が生まれてくるキッカケとして最も重要な要素は、3月に行った常陸國総社宮での「無何有の祭り」であることは間違いないと思います。
ある作品や展示は、唐突に現れてくるわけではなく、ある流れをもってそこに辿り着くわけですが、「阿吽の呼吸」は総社宮からちどりへと流れついた、と言えるでしょう。

「無何有の祭り」については、この頃のブログの記事を読んでもらうのが一番だと思います。

無何有の祭り

神社、という特殊な空間に展示をしてみて、一番心に響いたのは「空間を区切る」いう行為です。
縄を張ること、鳥居を立てること、人を立ち入らせないこと、そして、暗闇を作ること。
区切ることで、こちら側とあちら側、生と死、聖と俗、という「2」の世界を作り出すことができる。
全ての空間をフラットに、全ての世界に満遍なく光を当て、全てを見える「1」の世界にしようとする現代とは完全に逆行する場所なのです。

「2」の世界から見えてくるものは何か?
それは、あちら側とこちら側の間に立つ「3」の世界です。
間に立ち、世界を分け、繋ぐ存在が、2つに区切る行為によって、否応なく発生してくるのです。
不安定な「2」の世界を安定させるかのように。

それこそが自分が彫刻を通じて表現したい「何か」なのだ、と、これまでもボンヤリと感じていたことに実感が伴いました。
そして、総社宮で得た「区切る」という経験をぎゃらりーマドベで再現することで、「何か」を浮かび上がらせたいと思ったのです。

以上が、自分が今回の展示で試みたことではあるのですが、それがうまく達成されているのか、是非ぎゃらりーマドベに足を運んで頂いて、確認していただけたらと思います。
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# by mongoru901 | 2014-11-14 00:15 | exhibition